meta note

Piazza di ECHOS

ECHOS日記

1997.5.11(更新終了)

この日記はOlivetti ECHOS 44 COLOR(以下ECHOSと表記します)というちょっと古いノートPCを使い始めてのさまざまな出来事をECHOSを使って(他のページは殆どPS/V VisionやVENTURIS FXで)書いています。…まあ、ノートPC奮闘記と思って読んでいただければいいと思います。

| ECHOS日記(2)(1997年前半) || ECHOS日記(3)(1997年後半) || ECHOS日記(4)(1998年〜) |

1996年8月1日 ECHOSとの出会い

以前からノートPCにちょっと感心を持っており、お金に余裕ができたら(貧乏学生なもんで…)安いノートPCを買おうと考えていました。できれば黒がかっこいい某I社のノートPCが欲しいなと思っていたのです。

さて、久々にバイトもなく、暇だったので秋葉原に行こうと思い、さっそく支度して高速バスに乗り込みました。秋葉原は最近のパソコンブームでどの店も人でいっぱい。道を歩くのも大変です。「昔はもっと楽だったのになぁ」なんて思いながらもいつものように店を回り始めました。

ソフマップ(何号店かは忘れましたが)中古PCコーナーに入るといつものように某I社のノートPCの中古を始めにチェックし、その後に各社のノートPCを見て回りました。黒や灰色のノートPCの中に、ひとつだけワインカラーのノートPCが。そう、それがECHOSだったのです。状態もよく(OS:Windows3.1付き、付属品はすべて揃ってました)、価格は約8万円。昔パソコン誌で紹介されているのは見たことはあったのですが、実物を見るのは初めて。あの無機質な黒や灰色のノートPCの中でひとつ目立つ存在だったのは言うまでもありません。私はすっかり魅了され、誰かに買われないかと心配しながら、急いで郵便局のCDへと走りました。店の人の説明と動作確認、梱包の作業を終えてわたしの手に。嬉しいのひとことに尽きます。その日は真っ直ぐ帰って、早く使ってみたいという心の高まりを押さえながらバスに乗り込みました。

家に帰って早速セッティング…とはいうものの、準備したのはバッテリを差し込んで電源を引くだけでした。始めて触れるECHOS、とにかくいろんなことをやってみたいという期待に胸高なります。そしてハードディスクの中身をチェック。殆どがデフォルトのままで、新古品ではないかと思うほど。嬉しくて仕方ありませんでした。

1996年8月5日 ECHOSでインターネット

夏期休暇中に実家・沖縄に帰省することにしたのですが、最近始めたインターネットがやみつきに。そこでECHOSに外付けモデムをつないて実家でもインターネットしようと目論み、ECHOSにNetscapeとPPPダイアルアップソフトを組み込むことにしました。

双方とも、デスクトップPCのやつをそのままインストールすれば大丈夫と思い、Zipを媒体としてインストールしました。インストールは問題なく終わり、接続の準備に取りかかりす。

しかし、シリアルポート経由で接続したモデムがなぜか認識されないのです。接続も問題ないし、モデムの電源は入っている。ポートの空きも確認。何せノートPC初心者ですから、原因がよく分からないのです。途方に暮れているとバッテリ残量警告が。ちょうどその時は電源ケーブルを外して、バッテリのみで動かしていたのです。電源ケーブルをつないで再挑戦。あれ?動いた。私はこの時始めて省電力モードというのを知りました。いやいや、ほっとしました。

1996年8月12日 実家でインターネット(1)

実家に帰って早速接続。わたしが接続しているSo-netは(当時)実家のある沖縄にはまだなく、もっとも(距離が)近いアクセスポイントは熊本でした。さすがに熊本に何時間も接続するわけにもいかず、急きょアクセスポイントが沖縄・那覇にある他のプロバイダと契約することにしました。

某Bプロバイダにダイアルアップで契約し、さっそく接続。あれこれ回っているうちにSo-netのページにたどりついてびっくり。いつのまにかSo-netが沖縄・那覇にアクセスポイントを開設していたのでした。広告やページの近日開設予定にもまったく載っておらず、本当に突然という感じで開設されていたのです。ああ、契約してしまった某Bプロバイダの必要性が…。ちょっと損をしちゃったなぁ。

1996年8月12日 実家でインターネット(2)

さてさて、So-netにつなぎ直してインターネット。外付け28.8kモデムをつなげての快適インターネットを想像していたのですが、遅い。マシンパワーもさることながら、一番の問題はメモリ不足だったようです。さすがに4メガでは辛いです。まあ、今更しょうがない。気長にやることにしました…が、余りにも遅すぎる。

結局インターネットは必要以外には利用せず、メールのチェックをするだけにしました。この時はじめて「メモリを買おう」と決意するのでした。

1996年8月15日 挫折(…というほどじゃないが)

この夏休みにECHOSでレポートを仕上げようと目論み、WordPerfect(マイナーね)を急きょインストールさせて持ってきました。図書館などで資料を探してさっそく文書作成…してみたのですが、1ページも書かずに「メモリが不足しています」との警告。セーブもできずにWindowsをシャットダウンする羽目に。WordPerfectは文書のバックアップを残せるようになっていたのでよかったのですが、メモリの必要性をひしひしと感じた1日でした。

1996年8月20日 フロッピードライヴイカれる

さて、ECHOSを買って早3週間。あまりにも嬉しくて3kgもある巨漢をものともせずに持ち歩き、友人に自慢したりしていました。ところが、いつの間にかフロッピードライヴがイカれていることに気付きました。一応、ヘッドクリーニングしてみましたがだめでした。日頃外に持ち歩いたことがたたったのでしょうか。さらにこのECHOS、中古PCなので初期保証期間が10日しかなく、泣く泣く自腹での修理となりそうです。しくしく。

1996年8月25日 メモリ奮闘記(1)−メモリ探しの飽くなき戦い?

長い実家でのお気楽極楽生活に別れを告げ、つくばに帰ることになりました。今回強く感じたこと−メモリを増やす、ということを目的に帰路の途中、秋葉原に立ち寄りました。

さっそく色々な店を回り、メモリを買おうとショーケースを覗きこみました。そこでわたしはノートPCのメモリって機種ごとに違うことを初めて知りました。ノートPC初心者のわたしは、ノートPCのメモリもデスクトップPCのように規格統一されているされているものだとばっかり思っていましたから。

…気を直してECHOSのメモリを探しますが、ほとんどありません。かろうじてECHOS対応と書かれたメモリを発見。しかし説明書きには「ECHOS20シリーズ対応」と書かれていました。「同じECHOSでも違うの?」と店員さんに聞いてみました。店員さんに色々電話して調べてもらった結果、だめらしいことが判明。ぬか喜びに終わってしまいました。

ところで、色々回って辛かったのが「オリベッティってハード名ですか?」とか、オリベッティと聞いて、しばらく考え込み「取り扱っていないのですが…」と結構言われました。確かに最近は市場にほとんど姿を見せないかもしれませんが、数年前には日本のPC市場をあっと言わせたオリベッティくらい知っていてもいいのではないかと思ってしまいました。あ、これはマイナーユーザーの僻みかもしれませんね。…ところで、皆さんはオリベッティって知っていますよね?

1996年9月14日 メモリ奮闘記(2)

やはりECHOSのメモリは見つからず、仕方なくサポートセンターに問い合わせすることにしました。

サポートセンターの方はかなり親切に対応してくれ、とても好感がもてました。しかし肝心のメモリについては「ECHOSの場合は純正メモリのみ推奨しております。快適に安定して使っていただくためです」と回答。納得するしかありません。で、純正メモリの価格を聞いてみると「かなり高いのですが…」と前置きした上で「4MBが28,000円、16MBが138,000円(価格はこれくらいだったと記憶していますが、確信は持てないです)」と回答。高すぎる。ちょっと考えさせてください、と即答を避け、電話を切りました。「まあ、どうにかなるかな」と開き直るしかありません。ははは、はーぁ。;_;)

結局逃げに回り、デスクトップPC用に買った「メモリ倍増ツール」をECHOSに導入し、ひとまず落ち着くことにしました。

1996年10月20日 渡りに船!

お恥ずかしいことですが、ECHOSはしばらく部屋の片隅でひっそりと置かれていました。学園祭のプログラム作成などがあり、かまってあげられなかったのです。

大学でプログラム作成の合間に、ちょっと息抜き(現実逃避?)でインターネット。適当にいろいろなサイトを見ていると、オリベッティのサイトに何と純正メモリを始め、オリベッティの各ノートPCのオプションを破格値で販売するキャンペーンをやっていたのです。4MBメモリが9,000円!半値以下です。その他にオリベッティグッズもあり、ついついマウスパッドなんか欲しくなってしまいました。

メールで注文を受け付けているようなので早速注文。4MBメモリ2枚とマウスパッド2枚を注文し、送料・梱包料合わせて2万円ちっとで済みました。翌日速攻で入金し、商品の到着を楽しみに待ちます。

1996年10月24日 メモリ到着!(1)

何と入金してから3日で商品が届きました。サイトでは「商品の到着は入金確認後1週間前後」と書いてあったのでこの早さにはちょっと驚きました。「注文数が少ないのでは…」などとついついよからぬことを考えてしまいます。商品はわたしが大学に行っている間に届いていたらしく、管理人さんのところで預かってもらっていました。管理人さんから商品を受け取り、さっそく部屋に。Olivettiのロゴが印刷されたシンプルな段ボール箱でした。

開封すると幾重にも巻かれたビニールのプチプチ(保護シート?)の中にメモリはありました。英語とイタリア語で書かれた説明書きには見向きもせず、メモリを取り出してさっそく取付け。

ECHOSはオンラインマニュアルにメモリ増設の説明が載っているため、始めにマニュアルを熟読してから取付けを始めました。底面のパネルを全部開けるタイプなので、ドライバでねじを開け、パネルを外しました。そしてメモリ取付け。すんなり取付けが終わり、今度はBIOS等の設定です。これらは冊子体のユーザーガイドに載っていたため、オンラインマニュアルを熟読する必要もなく、ガイドを片手に設定していきました。…といっても自動的に認識してくれましたけどね。

1996年10月24日 メモリ到着!(2)

さて、メモリも付けたしBIOSも設定した。早速12MBのパワーを堪能しようとWindowsを起動。おー、さすが。起動がスムースだ。Netscapeがキビキビ動くし、WordPerfectも快適。今までの苦労が実った…なんて思いながら感動に浸っていました。

メモリが12MBになったので、要らなくなったメモリ倍増ツールをアンインストールすることに。ちゃんとアンインストールツールが付いていたので、それに任せて処理しましたが、再起動するとエラーが。win.iniファイルに設定されていたメモリ倍増ツールの残骸が残っていたのです。早速その部分だけを削除し、難無くクリア。ふふふ、嬉しいぞ(?)。

1996年11月28日 はじめてのPCカード(1)

学期末の試験が終わり秋期休暇がちこっとだけあったので、久々に秋葉原。年末年始を実家で過ごすため、ECHOSでインターネットやメール、大学にアクセスするためにtelnetを利用しようとの考えから、PCカードのモデムを買おうと決めていたのです。いつものように高速バスに乗りこみます。今日もお決まりの店を回りながら安いモデムを探しました。ECHOS用なので特に早いやつでなくても良く、14.4kあればいいやと考えていました。

…でも、PCカードのモデムって高いんですね。外付け型なんか28.8kで1万円を割る商品もあるのに、PCカードのモデムは14.4kでも1万5千円が限度。某I社の純正モデムなんか14.4kで3万もするではないか。そんなこんなでちょっと落ち込みながらもT-ZONEミナミに。エスカレータを降りてすぐのところにワゴンが置かれていて、投げ売りされていたPCカードの14.4kモデムがありました。米国直輸入品のあやしいモデムでしたが、値段は何と6,800円!「T-ZONEだから問題ないだろう」と勝手な解釈し、迷いもせずに買ってしまいました。値札は何度か貼りかえた跡がありました。これって、そんなに売れなかった商品なのかしらね?

1996年11月28日 はじめてのPCカード(2)

さて、買ってきたPCカードを早速ECHOSにつないでみることにしました。もちろんですが説明書は全て英語。普段使っていない脳ミソをフル回転させ、セッティングとインストールのページを一生懸命読みます。そんなに難しい英語ではなかったのですが、いちいち他のページを参照するようにとの案内にちょっとうんざり。またモデムには通信ソフトが付いていたのですが、特に使おうとも思っていなかったのでその説明はパス。デスクトップPCで使い慣れているソフトをそのままインストールしてあるからですがね。

ところでPCカードの認識ですが、運良くプリインストールされていたMS-DOS6.2/VにPCMCIAカード認識ドライバがあったことと、WindowsにPCカード自動セッティングソフトがプリインストールされており、全くセッティングは要らなかったのです。一生懸命英語のマニュアルを読んだことは結局活かされませんでした。まあ、ちっと英語の勉強にはなったかな?その後モデムは快適に動き、始めてのPCカードは難無く取付けられました。

1996年12月22日 PCカードの悲劇(1)

前回PCカードのモデムを難無く取付けられて浮かれていたのか、「次はサウンドカードを付けよう!」と意気込み、早速コミコミの秋葉原へ。ECHOSは最近のノートPCのようにサウンド機能など付いておらず、音はビープ音だけ。ちっと淋しいなと思っていたのです。混んだ秋葉原にはなかなか行かないのですが、浮かれていたのでそういうことはお構いなし。朝早く支度して秋葉原へ出かけました。

運がよかったのか、ソフマップの中古PC売り場で偶然某米国I社のSBpro互換のPCカード(後で調べたが、どうもMWAVEカードらしい)が売っていたのです。「これは買い!」と思ったがそれは米国の製品でマニュアル等は全て英語。英語の苦手なわたしとしてはちょっと痛い。でも前回のモデムもすんなり付けられたし、大丈夫だろうと思い、お買い上げ〜。とうとうECHOSでも音が鳴ると思うと嬉しくて仕方ありませんでした。

1996年12月22日 PCカードの悲劇(2)

さて、買ってきたPCカードを早速ECHOSに取付け。一応マニュアルを読みセッティング。ECHOSはフロッピードライヴがイカれているのでドライバ類はZipを経由してインストール。…あれ?PCカードが認識されていない。まだまだノートPC初心者のわたしはどうなっているのか分からず、ドライバのインストールをやり直したりしてみましたが反応はありません。「前回のモデムはすんなりいったのに…」と予想していなかった状況に焦りました。

よく分からぬままPCカード自動認識ソフトを見てみると、どうもポートの割り当てがうまくいっていないらしい。手動でポートを割り当てて再起動。「ジャジャーン!」と聞き慣れた音がヘッドホンから聞こえてきました。

1996年12月22日〜25日 PCカードの悲劇(3)

「お、成功か?」と喜んでいたのもつかの間。起動するとなぜか「メモリ不足です」との警告。外箱の説明書きには4メガで駆動すると書かれていたので大丈夫なはず。しかも前回取付けたモデムを動かそうとすると認識してくれない。もう頭は「???」ってな感じです。さらにわたしは25日の早朝に実家(沖縄)に帰ることになっていてモデムが使えないと非常に痛い状況で、とにかくサウンドPCカードをほっぽり出し、モデムの認識に全力を注ぎました。

とにかく無我夢中で、知っている限りの知識やマニュアル、本などをひっくり返したりして原因を突き止めようとしました。しかし事態は進展せず、もうどうにでもなれとドライバ等、必要最低限のファイルをバックアップしたうえでDOSとWindows3.1を再インストールすることに。しかしそれでもだめ。

そんなことを帰省当日の朝5時頃まで繰り返していたのですが、ここでわたしは重要なことに気づいたのです。ポートの設定がサウンドPCカードのままであることを。それでモデム用のポートを新しく設定し、ダイアルアップソフトのセッティングも直すと、やっと認識してくれるようになりました。

さあ、モデムの認識ができたので今度は帰省のための準備です。つくばを出るのが7時半。2時間弱の短い時間で荷物の整理、宅配便を送るための荷作り。そして近くのコンビニへと走ります。そんなこんなで帰省の準備を終えたわたしは朝食を摂ることなくECHOSを鞄の中に押し込み、高速バスに乗り込みました。とにかく、あのサウンドPCカードのためにこんなにも大変な思いをすることになるとは、全く予期せぬ出来事でした。

 教訓、ノートPCの遠征前には余計なことはやめよう。…お粗末さまでした。


Olivetti オリベッティに興味をもった方はこちらへ。*リンク切れです

|ECHOS日記 つづく|


| meta note | Piazza di ECHOS |

© Metaz