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Okinawa Bus Column

思い出のバス路線

最終更新:2008.8.25


51系統 百名線(船越経由)/53系統 志喜屋線 (琉球バス交通)
那覇BT→開南→国場→外間→稲嶺十字路→船越→富里→(奥武)→百名→(志喜屋)
(かっこ内は53系統経由地)

51/53系統路線図
やはり、十数年利用してきた路線だけあっていろいろと思い出すことはたくさんあります。特に中学・高校時代は通学のために毎日というほど利用していましたからねぇ。F(^^;

昔からバスが好きだったからでしょうか、親やおばあちゃんと一緒に那覇なんかに連れてってもらうと必ずといっていいほど乗降口からすぐの最前席へ。景色を見るのも楽しかったのだが、なによりも運転席を横から眺めるのが楽しかった。最新式両替機付き(自称)運賃箱、8トラテープ、整理券器、巻き取り式運賃表示器など、とにかくめずらしくてじろじろと眺めていました。一度、乗降口横の方向幕のクランクを回して遊んでいたら運転士に怒られてしまいました。当たり前ですが。

琉球バスでほんの一時期ですが、おもしろいサービスを行っていたことがあります。それは乗客への仁丹サービスというもの。整理券器の上に10粒くらい入った仁丹の小袋が置いてありました。袋には森下仁丹のマークと琉球バスの社章が印刷され、結構本格的でした。当時イナカもんのガキだったわたしは珍しくて何袋かもらっちゃったりしていました。ちなみに仁丹を飲んだことがないわたしはその袋に入っている仁丹10粒くらいを全部口の中にいれてみました。すごくまずかったです。そんなわたしみたいなイナカもんのガキがたくさんかっぱらったからでしょうか、その仁丹サービスは何箇月もたたずに終わってしまいました。

ところで、この路線の車両には日産ディーゼルが殆どで、一部日野車もあります。その中で1台だけ変わった車両がありました。日産ディーゼルで型番は全然わからないんですが、元貸切車を改造して使っていたようでした。窓は斜めのやつで、降車ボタンも形が違う。また座席のシートが黄色(普通は紺)で補助席付き。とにかく珍しくて、初めて乗ったときには非常に嬉しかったのを思い出します。しかし、その車両には欠点があったのです。貸切車仕様なため、通路が異常に狭かったのです。あまり長い期間配属されなかったのですが、その後どうなったかはわかりません。誰か知りません? 車番は多分630だったと思いますが。

残念なことですが、現在この路線では今でも7・30当時導入した車両を使っています。最近の車両に比べてステップは高いし、エンジン音はすごい。中北部路線に集中的に配置される新型車をいつもうらやましく眺めています。そんな中、ちょっと嬉しかったことがありました。この路線の一部の車両にデジタル式運賃表示器が導入されたことです。他の車両の表示器(他は小田原製)とは少し違うようですが、とにかく新しい機器が導入されたので、嬉しかったです。また、米軍スクールや中古車もかなり導入されました。

…そんな初々しい(?)話から早数年。この路線も次第と便数も減ってきたり、路線統合もあったりして変わっていきました。この路線を持つ琉球バスは110億円の負債を抱えて会社整理を申請、再建の道を歩むことになりました。少しでも早く業績が回復するようにと、実家に帰った時にはなるべく利用するように心がけています。

ところで、最近の新聞で報道されましたが、事業者の廃止・短縮路線の対象に百名線が入りました。以前から噂はあったんですが、やっぱりというとこでしょうか。残念です。

(2001.6.1)

5系統 識名線 (那覇バス)
三重城→那覇商業高校→県庁前→開南→寄宮→識名→大道→牧志→那覇商業高校→三重城
(上記系統は開南先回り循環)

*ただし、現在は同系統番号で別ルート運行

5系統路線図
那覇市民でもないのにわたしは那覇バスの市内線を結構乗ったりします。財布の中にはいつも車内で買える1,000円の回数券を忍び込ませているほどです。理由はやっぱり県内唯一のいすゞ車(例外として東陽バスの中古はありますが)であることでしょうか。いすゞファンには市内線の車両はまさにハーレム状態です。

そんな中、わたしはよく5系統の識名線に乗ることが多いです。別に用があるわけでも無いのですが、しばしば乗せていただいています。…ただ乗っているだけなんですよねぇ。

循環路線ですから、県庁前あたりから乗ってぐるっと1周して松尾あたりに戻ってくる。車窓を眺めながらのんびりといすゞ車に揺られていく。それだけで乗っています。識名線は1周を1時間程度で回ってくるので、ちょうどいい長さなんですよね。長すぎず短すぎず、ちょうどいい長さなのがこの識名線なのです。3系統は短すぎるし、1系統は長すぎる。…てなことで5系統なんです。はい。

5系統で好きなのは上間-光明寺ー識名間。道幅の狭い上間の急坂を登り、急カーブを曲がると光明寺バス停。光明寺バス停からは那覇市街が一望でき、すがすがしい気分になります。バスはそこからまた狭い道を通り、交差点を曲がると識名バス停。識名バス停はバスがすれ違うのも難しいような狭い道にへばりつくように設置されており、客扱いを見ていて冷や冷やします。どちらにしても、狭い道をものともせず大型バスを扱う運転士はすごいなぁ、なんて感心しながらこの区間を楽しみに乗っています。

でも、200円で1時間程度の小旅行をしていると思えば安いと思うんですが…だめ?

そんな楽しい循環系統も、新川営業所移転にともない全廃。新川営業所で乗り継ぎも可能ではあるが残念。

(1997.7.1)
(2008.8.25一部修正)

111系統 高速バス (琉球バス・沖縄バス・那覇交通・東陽バス)
那覇空港→バスターミナル前→国場→新川→(琉球大学→中城→沖縄南→石川→)名護BT
(かっこ内は沖縄自動車道内)

111系統路線図
沖縄で唯一の高速バス。沖縄自動車道が那覇まで延びたことから、路線バス4社の共同運行として那覇空港から名護市の名護バスターミナルまでの約80キロを走る高速バスです。

初めての高速バスのためか、各社車両のグレードはバラバラで、はじめは貸切車両の転用が多かったのですが、最近は専用車両を投入したりしてより快適な高速バスになりました。一時期ですが、一般の路線バス(しかも7・30当時の車両)を利用していたこともありましたが、あれだけは勘弁してもらいたかったですね。シートベルトは付いていたんですかね?

わたしは今まで数回ですが、高速バスを利用したことがあります。

初めて高速バスに乗ったのは1990年。恩納村で高校のクラスメイトと一緒にペンションに泊まりにいった帰りのこと。その頃からバスに興味があったのでしょうね。皆が20系統で普通に帰っていくのにわたしだけ48系統(読谷-石川)を乗り継いで石川ICバス停までやって来て、そこから高速バスに乗車。多分その時は那覇交通(当時)の担当だったような気がします。でも、その時の記憶はあまりないですねぇ。一応、那覇BTまで乗車したのは覚えてるんですが。

2度目は旭橋-琉球大学間という短い区間の乗車でした。その時は那覇交通(当時)担当のバスでした。ちょっとわくわくしながら乗車したのを覚えています。実際これが初乗車のようなものですからね。那覇交通(当時)の車両は貸切車の改造車で、乗り心地はなかなかのもの。ただ、乗客がほとんどいなかったのが残念なところでした。もちろん途中乗車なし。寂しかったですねぇ。

3度目は東陽バス担当のバス。今度は逆に琉球大学バス停から乗車で、ちゃんと止まってくれるかなぁ、と心配してしまいましたが、定時に到着、問題なく停車。バスに乗り込みました。東陽バスの車両は那覇交通と同様、貸切車の改造車(あとで知ったことだが、中古車とのことでした)。でも、那覇交通よりかなりきれいな装備で、快適な乗り心地でした。また、驚いたのが(当時)県内唯一の女性運転士に当たったこと。丁寧な変速や、安心できる運転で好感が持てました。

近ごろ暇なのでちょっと観光も兼ねて(?)名護まで足を運んでみました。もちろん高速バスも利用しました。行きは親の勤め先が恩納なため、恩納まで車で連れてってもらい、そこから20系統で名護まで行きました。で、その帰りに高速バスに乗って帰路につくことにしたのです。今回の担当は沖縄バス。早い時期から新車の専用車を走らせている事業者であり、今回の乗車でも数年前に新車で購入したと思われる専用車でした。乗客も観光客を含めて15人程度乗り込み名護BTを出発。さすがに新車だけあって乗り心地はなかなかのもの。また運転士の上手い運転も奏してバスはまさに快適そのものでした。ただ、欠点はクーラーが効きすぎていたことぐらいでしょうか。この後、ちょっと寄り道するために石川ICで乗り換えることにしたのですが、あまりのここちよさに降車ボタンを押すのをためらった程です。また乗りたいですねぇ。今度はちゃんと全区間通して乗ってみたいものです。今度は琉球バスの担当車に乗ってみようかなぁ。 

でも、まだまだ全国の都市間高速バスには遠く足元にも及ばないですが、一度乗ってみてもいいかな、と思いますよ。何か知らないけど独特の雰囲気もあるしね。

(1997.7.15加筆)
25系統 石川線(首里経由) (那覇交通(当時))
那覇BT→牧志→首里→普天間→コザ→知花→石川BT
*ただし、現在は石川BTが廃止、路線短縮が繰り返され、25系統 普天間空港線として運行

25系統路線図
わたしは出身が南部なので、中北部路線にはあまり縁がないんですが、そのなかでも25系統は特別利用したものでした。

親戚がコザに住んでいたことから、そこに行くときは父親に(当時は首里に勤めてたので)当蔵あたりまで乗せてもらってそこから25系統でコザに行っていました。当時は7・30のあとでほとんどが新車のいすゞBU04だったと思うのですが、一度だけ、かなり年季の入ったバスに乗りました。詳しいことはわからないんですが、あれは7・30以前のバスを改造したものだったんじゃないかと思います。…中をよく見とくんだったなぁ。

あと、わたしを25系統のとりこにした(笑)のが、1990年頃から数台投入されたいすゞLV719Nです。一般路線に観光バスなみの装備。新車スーパーハイデッカーの魅力で用もないのに何度も乗車して石川に行ったものです。那覇交通としては繁忙期の貸切転用を想定しての選択だったと思うのですが、利用者のマナーの悪さで思惑通りにいかなかったんじゃないかと思います。値段は一般路線バスの倍くらいかかったと思いますが… 現在も路線バスとして124、125系統で利用されてますが、高速バスとしても活躍しているようです。

石川BTはホームセンタータバタ近くにぽつんとあり、24、25、26、48(平成元年頃撤退、現在は沖縄バスの単独運行)系統が発着していました。平成9年道路拡幅のため、知花に移転し路線短縮、125系統知花線(首里経由)を新設しました。25系統は一時、日に数便運行されていましたが、現在は全廃。さびしい限りです。

2004年7月に那覇バスに経営譲渡した際に25系統普天間空港線として復活しました。

関係ないけど、那覇バスの車内放送って他社と違って独特だったよね。

(2000.1.10)
(2004.10.10一部修正)

82系統 玉泉洞糸満線 (琉球バス交通)
糸満BT→南部病院前→米須→平和記念堂前→具志頭→堀川→玉泉洞
82系統路線図
わたしが住む玉城から糸満へバスで行くには結構大変で、普通なら51/53系統(百名線・船越経由)で外間まで出てそこから34/35系統(糸満線)で向かうんですが、バス好きとしては82系統を使わない手はありません。本島南部の南を走る82系統です。以前は港川止まりでしたが、10年ほど前に玉泉洞まで延伸したことからわたしにとってはより利用しやすくなりました。

82系統はひめゆりの塔や平和記念堂、ひめゆりパーク、玉泉洞といった観光地を結ぶ路線ではありますが、実際はほとんどが地元利用で、他の地方線と何ら変わりません。上りの起点、玉泉洞での乗車がわたし1人ということも珍しいことではありませんからね(笑)。

南部の南側を沿うように走る82系統ではありますが、海はあまり見えず、どちらかというとサトウキビ畑に囲まれた国道をのんびり走るほうが多い見どころの少ない路線です。でも、そんなところが好きだったりしますけどね(笑)。

(2003.8.1加筆)

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